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2021/04/28
労働者の祭典・メーデーによせて
大建労独自メーデーは残念ながら中止
コロナ禍でも仲間の仕事暮らし守る運動に取り組みます
 5月1日(土)に予定していました大建労メーデーは、残念ながら昨年・今年とコロナウイルス感染拡大する状況を鑑み、参加される仲間と家族の健康を守る立場から開催を見合わせることとなりました。

 労働者の祭典・メーデーの日、集会・デモ行進こそ行なえませんが、改めて「働く者の団結で、生活と権利、平和と民主主義を守ろう」のスローガンの意義を確認し、改めて仲間の仕事と暮らしを守る運動を進めていく決意を固める契機としていきましょう。

 そしてコロナ感染拡大の状況の中でありますが、組合では仲間の仕事・暮らしを守る運動を可能な方法で工夫しながら取り組んでいきます。

 ■メーデーの歴史と意義

 集会・デモに代えて世界中の労働者が連帯するメーデー、その意義についてご紹介します。

 メーデーは、1886年5月1日、アメリカの労働組合が八時間労働制を要求してストライキ・デモ行進を行なったことが起源です。
 
 12〜14時間労働が当たり前だった当時、アメリカの労働者は「第一の8時間は仕事のために、第二の8時間は休息のために、そして残りの八時間は好きなことのために」と歌いながらたたかい、8時間労働制をかちとりました。

 日本では、1920年5月2日(日)、上野公園で5千人が参加したのが最初です。その後、戦前のメーデーは1935年の第16回まで各地でとりくまれましたが、36年の2・26事件で戒厳令が敷かれたのを機に禁止されてしまいます。

 戦後、1946年の第17回メーデーから復活。東京では「人民広場」とよばれた皇居前広場に約50万人が集まりました。
戦争からの復興を遂げた高度経済成長期以降は、複数の労働組合が共同で「統一メーデー」として開催を続けてきましたが、労働組合の再編のため1989年以降は統一メーデーの開催ができなくなり、日本労働組合総連合会(連合)と非連合系の全国労働組合総連合(全労連)や全国労働組合連絡協議会(全労協)による分裂開催となっています。

 大建労も大阪地方メーデーに参加をしてきましたが、大阪で統一メーデーが開催されないことで、1989年に初めての大建労独自メーデーを開催。さまざまな議論を経ながら1993年以来開催を続けています。






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